「論語」の各章の意味を、AI時代の文脈で読むとどう意味しているのか、子供にも分かるように紹介します。
本日は、学而篇の第9章「慎終追遠」です。
学而篇 第9章
終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。
(意味)
君主が親の葬式を丁寧に行い、毎年の先祖参りを欠かなければ、人民もそれに感化されて徳のある民になる。
(説明)
終わりとは、死のことです。
遠きとは、先祖を意味します。
この章は孔子ではなく、曾子の言葉となっています。
儒教の先祖を大切にする心があらわれた章となっています。
論語の学而篇第9章は
◎先祖を尊ぶことの大切さ
を伝えている章になります。
AI時代の読み方
この章をAI時代の現代の文脈で考察します。
とはいえ難しい章ではありますが。
最近、政府が出生率を上げるために事実婚や婚外子に関する法律を改正し、実子と同じ扱いにするといった動きがあります。
これはおそらくフランスなど欧米での事実婚の多さなどから、うまく制度を取り入れたいのだと思いますが、いろいろ難しいですね。
育ての親と生みの親が違う場合に、育ての親には感謝できるけれども、その先祖まで大切に尊ぶことができるのか?
これは、その立場になった人間にしか分からないです。
この章はそういった意味でも、昨今の実情に対してガチガチに当てはめるのは無理があるかもしれません。
ですが、過去の人々を尊ぶ気持ちが大切だという点は変わりありません。
自分の先祖を含め、現在の日本と世界を作ってくれた過去の人々についてよく学び、尊敬し、よい面を取り入れる姿勢が大切です。
そうした意味では、学而8章の学則不固と言いたいことは、似ているかもしれません。
まとめ
終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。
(意味)
君主が親の葬式を丁寧に行い、毎年の先祖参りを欠かなければ、人民もそれに感化されて徳のある民になる。
論語の学而篇第9章は
◎先祖を尊ぶことの大切さ
を伝えている章になります。
これからの時代であれば、直接の先祖だけでなく、広く過去の人々を尊敬し、そこから学ぶ姿勢が大切だと言えます。
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