究極のタイムマネジメント手法|タイムマネジメント④

「究極のタイムマネジメント」とは死からの逆算であることを、哲学や武士道に絡めて説明します。

タイムマネジメントを突き詰めると、それは「死からの逆算」になります。

一見よく分からないことを書いていますが、順を追って説明します。

タイムマネジメントシリーズの最後の記事となります。

本記事でお伝えしたい、本当に効率的で最大限の成果を発揮するタイムマネジメント手法とは

「自分の死から逆算して、やることを列挙し、スケジュールに落とし込むこと」です。

どうして死からの逆算が最も効果的なのかを説明します。

本記事でははじめに、逆算思考の終着点が「死」であることを説明します。

その後、哲学者がどのように生と死を考えていたのか説明します。

続いて、日本人が過去どのように死を考えていたのかを、武士道の観点から紹介します。

最後に明治時代に活躍した人たちが死んだときに、どのような言葉が贈られたのかを紹介し、おすすめの本を紹介します。

毎日の逆算を連続的に考えると終着点は死である

タイムマネジメントのコツは「逆算思考」です。

いつまでに何をするのかを決め、そこから逆算して、今日何をするのか決めます。

1日のタスク立てをする場合には、その週全体でやることを考えて、その日のタスクを立てることになります。

そしてその週やることは、その月にやることから逆算します。

そしてその月にやることは、会社であれば四半期や半期、そして年間計画から逆算して考えることになります。

そしてその年にやることは3~5年の中長期計画から逆算することとなります。

ビジネスパーソンであれば、特に仕事関係のタスクであればこのような逆算思考がある程度はできていると思います。

ビジネスだけでなく自分のプライベートも含め、人生について同様にどんどん逆算して考えていきます。

すると、20代はどう過ごしたい、30代では何をやりとげたいと、10年計画が立ちます。

そしてその10年計画を考えるには、人生全体をどう過ごしたいかを考えることになります。

人生全体を考えるとは、生まれてから死ぬまでの話なので、結局、「死ぬまでに何をしたいのか」を考えることになります。

こうして連続的に逆算していくと、1日のタスク立ては、究極的に「自分の死からの逆算」となります。

人間とは:ハイデガーの「存在と時間」から考える

「死から逆算」という思想は、私が言っていることではなく、20世紀を代表する哲学者ハイデガーの著書からとってきたものです。

ハイデガーは20世紀のドイツの哲学者です。

ナチスとの関わりなどもあり、全てが肯定的ではないですが、その著書「存在と時間」は20世紀を代表する哲学書として有名です。

「存在と時間」という本の名前の通り、「存在」とは「生きること」であり、「時間」はタイムマネジメントに関わるので、この本はまさに「人生とタイムマネジメントの関係」を表しています。

とはいえ未完に終わった書籍であり、きわめて難しい本です。

ですが、私なりに簡潔におおざっぱに説明します。

この本では、「存在」というものをきちんと定義しようとします。

犬や人間などの生物の存在を定義しようとすると、

「生物とは生と死に挟まれ、死に向かう者」と定義できます。

ですが、犬は存在という概念を考えたりせず、人間だけが存在という概念を考えることができます。

なぜ人間だけが考えられるかというと、それは人間は死という概念をあらかじめ認識できるからだとしています。

つまり死をあらかじめ認識できる人間こそが、存在すなわち「生きること」をきちんと考えられる真の存在です。

そして「普通の人間は死に向かうことに不安を抱え続けますが、そこで死を迎える覚悟をすることによって、私たちは本当の真の存在になれる」と述べています。

なんだが、訳が分からないですが、つまり「死を覚悟し、そこから生きることを考えれば、よい存在になれる」という哲学書でなく自己啓発本みたいな本です。

私の説明があまり大雑把すぎて、逆に分からなくなったり、適切でない説明になっているかもしれません。

ですが、哲学者も「死から逆算して人生を考えることが大切と言っている」と分かっていただけたら十分です。

一方で20世紀にハイデガーが述べる以前から、日本では同様に「死」から人生を輝かせるという考え方が江戸時代の「武士道」のなかに既に定着していました。

日本人の死生観、葉隠、武士道

ハイデガーは人間を「生」と「死」に挟まれた存在と述べました。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など旧約聖書をベースとする宗教の人々は、「人間は神に創られた」という概念を持つため、「生」に対して意味を見出しやすいです。

自身が生まれた意味、与えられた使命をベースに人生を考えるという思考が身についています。

(※そのため使命やミッションをベースに人生を考えるアメリカ型の自己啓発にしっくりきます)

一方で、日本人は仏教の影響で、「死」を意識し、死後、輪廻の輪から抜け出せるかどうかなど、古来より「死」に対して意味を見出しやすい民族です。

(※アメリカ型の生まれた使命やミッションをベースに人生を考える自己啓発にしっくりこない日本人が多いのは、このためだと私は考えています)

江戸時代の有名な本に、「葉隠」(はがくれ)という本があります。

「葉隠」は4代将軍徳川家綱の時代に生まれた山本常朝(じょうちょう)の言葉をまとめた書物です。

山本常朝は、幼い頃儒教を学び、青年時代には仏門で修行をしていました。

この書物は、「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という言葉が有名です。

聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

しかし、この言葉は、太平洋戦争中に軍部によって誤った形で宣伝に使用されたため、意味を誤解している方が多いです。

「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」には、

・恐れずに死ぬことが日本人の生き方だ

・討ち死にを恐れるな、玉砕せよ

という意味はありません。

この言葉のあと、葉隠では次のような言葉が記されています。

「毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりている時は、武道に自由を得、一生落ち度なく、家職を仕果すべきなり」

この言葉の意味は、「常に死を思い、死を意識した生き方をしていると、武士道の心を手に入れ、人生で一生失敗することなく、職務を全うできる」です。

「一生落ち度なく」という言葉が含まれているように、「今死になさい」という意味でなく、一生の人生が、死を意識することで輝くと述べています。

つまり、「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」とは「死を覚悟して生きることで、より良い生き方、武士道が実現できる」という意味です。

「葉隠」は死を覚悟することが生につながり、「死を生に転化すること」を述べた、日本の数少ない書物です。

ちなみにここで武士道とは何でしょうか?

明治時代に新渡戸稲造は「武士道」という本を書き、日本人は特定の宗教信仰を持たないが武士道という倫理規範を持つということを述べています。

そしてその武士道とは3つからなり、

・生死の観念と中道なる生き方を教える仏教

・主君、祖先に対する忠誠と、皇室・国を愛する心を教える神道

・人が生きるうえで大切にすべき五常を教える論語を中心とした儒教

これら3つがバランスをとって、ひとつの日本人の倫理規範を成していたと述べています。

書物「武士道」の中でも「切腹」の章があり、日本人が死を意識して生きることで、「死を生に転化している」ことを暗にふれています。

このように20世紀にハイデガーが生と死の話をする前の江戸や明治時代から既に、日本人は死を意識し、「死を生に転化する」考え方を持っていました。

死を迎えた人々に贈られた言葉たち

ここまで、日本人は死を意識し、死から人生を考えることが効果的と考えてきたことを説明しました。

この「死を生に転化する」考え方をタイムマネジメントに落とし込むには、死から逆算して自分の人生で何を成したいのかを考える必要があります。

その一つの方法として、「死を迎えたときに、自分がどのような言葉を贈られたいのか」を考えるワークがあります。

この考え方はアメリカ型の自己啓発でも取り入れられています。

有名なのは、アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑で

Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.

(自分より賢き者を魅了し仲間にする者、ここに眠る)と書かれています。

これがカーネギーのビジネス思想であり、人生観だったのだと思います。

他に日本人の例として、武士道の著者であり、日本の明治時代の外交や国際連盟の事務次長を担い、東京女子大学初代学長でもあった、新渡戸稲造の弔辞を紹介します。

新渡戸稲造の告別式では

「・・・同君は死ぬ最後の日まで発達を止まなかった人であり、息を引き取る最後の瞬間まで、国家と人類とを思う至誠の止まなかった人であります。

新渡戸君は偉大な国際人でありました。しかし新渡戸君は、それ以上に偉大なる日本人でありました。新渡戸君の真価は燃えるような愛国者であったことであります。

今日のような国歩険難の日に新渡戸稲造君を失うことを一個の日本人として私は心の底から悲しみ慎むのであります」

宮部金吾(引用 新渡戸稲造はなぜ武士道を書いたのか

ここで「国際人であり、それ以上に愛国者であった」と言う言葉が出てくるのは、実はとても興味深いところです。

新渡戸稲造が亡くなったのは昭和8年であり、太平洋戦争へと突入するきっかけとなった満州事変の2年後です。

日本国内は軍部主導の歪んだ愛国心という名前の自国主義に陥っており、国際人であり世界的視野で物事を考える新渡戸稲造の発言や行動は非国民と非難されていました。

それでも、「彼は日本を本当に愛し、世界的視野で日本のことを愛して行動した」という新渡戸稲造の生き方や行動、成し遂げたことの素晴らしさが、弔辞では述べられているのです。

新渡戸稲造はあまりに雲の上の人過ぎますが、「自分が死んだとき」、そこから人生を逆算して考えるのが、タイムマネジメントの究極の姿ではないかと、私は考えています。

死を意識できるおすすめの本を紹介

とはいえ、現代の日本人には「死を生に転換する」とは非常に難しい概念です。

そこで「死」について考えるきっかけとなるおすすめの本を紹介します。

読むのが簡単な順番に紹介します。

「死ぬときに人はどうなる 10の質問」

死ぬときに後悔すること25

上記2冊の著者は終末期の患者さんの緩和医療に従事する医師です。

たくさんの死にふれてきた著者が、「現代において人がどのように死んでいくのか、そして死にゆく人々はどんなことを考えるのか」について説明しています。

自分の死というものを考えるきっかけを与えてくれると思います。

最後の授業  ぼくの命があるうちに

カーネギーメロン大学でVR(ヴァーチャルリアリティ)を講義・研究する教授が、若くしてガンになり、死ぬ直前に学生に向けて「子供のころからの夢を本当に実現するために」という最後の授業を行いました。

本書を読む前にその授業の様子がyoutubeで見れるのでぜひ先にそちらを見てください。

リンク:「子供のころからの夢を本当に実現するために

本書はその講義の内容も含みつつ、死ぬまでの限られた最後の時間を、どう講義準備に使い、どう家族との時間にしたのか、家族との会話や、その後の友人との話、そして講義に向かう先生の気持ちなどが記述されています。

Youtubeの講義以上に、生きるということを考えさせてくれる一冊です。

モリー先生との火曜日

ALSと呼ばれる、筋肉が固まっていって死に至る病気に侵された大学教授モリ―先生と、その生徒であった著者とのやりとりを記した実話です。

30代になった著者は偶然モリー先生が死に向かっていることを知り、亡くなるまでの数か月間、毎週火曜日に話をしました。

モリー先生が著者に、死を目前にして思う、死,恐れ,老い,家族,社会,人生の意味について語ります。

「いかに死ぬかを学べば,いかに生きるかも学べるんだよ」とモリー先生は語り、死の間際だからこそ感じる人生の大切さについて記された本です。

最後に「夜と霧」を紹介します。

ドイツ語タイトルは「心理学者、強制収容所を体験する」というものです。

ユダヤ人で心理学者である著者が、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所で体験した内容、そしてその体験を心理学的な知見から分析した本です。

●強制収容所という死と隣り合わせの環境であっても、どのようにふるまうか、どんな人間であるかはその人しだいであって、環境しだいではないこと

●収容所という過酷な環境下で生き残れた人間は、未来に希望があり、人生の意味を持つ人、生きていくうえで何を得られるかではなく、何を与えられるかを自分に問うていたこと

などを説明しています。

人間とは、生きるとは、ということを考えるきっかけを与えてくれる本です。

紹介しました本を読むことで、現代の日本人でも死を意識することができるのではと思います。

以上、死を生に転化し、死から逆算して今日やることを決めるのが、究極のタイムマネジメントと私は考えています。

なにか皆様の参考になれば幸いです。

長い文章になりましたが、ご一読いただきありがとうございます。

最後に、私が好きな詩を紹介します。

お時間があるときに読んでいただけたらと思います。

「最後だとわかっていたなら」

作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦

あなたが眠りにつくのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは もっとちゃんとカバーをかけて

神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめて キスをして

そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが

最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって

毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど

最後だとわかっていたなら

一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と

わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで

今日で全てが終わるのだとしたら、

わたしは 今日

どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも

約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは

今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら

今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら

あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための

ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に

その人の最後の願いとなってしまったことを

どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを

しっかりと抱きしめよう

そして その人を愛していること

いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう

そうすれば もし明日が来ないとしても

あなたは今日を後悔しないだろうから

『最後だとわかっていたなら』(サンクチュアリ出版)より

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